近年よく見るフレーズに「最悪死ぬ」というのがあるけど。
ワクチンで最悪死ぬ。
野生のきのこで最悪死ぬ。
原発が攻撃されたら最悪死ぬ。
ヨシ!で最悪死ぬ。
僕の認識では「最悪に至る」が嚆矢で、「死ぬ」というキツイ言葉を避けた表現だと思ってる。根拠はない。
でも90年代以前ではよく耳にしてた気がする。
例えばテレビで世界まる見えのような海外の映像を紹介する番組では、凄惨な映像の最後にナレーションで「最悪の結果に……」と死んだことを匂わせてた。
# いつのまにか人死にが出る映像をテレビで流さなくなって、死が遠くなっちゃった。
# とはいえ不適当なもので、死んでるのにナレーションでは怪我で済んだように紹介してるものも非常によく見る。
# 例えば先月だったかに見たのは、2021年に浙江省で電動バイクが爆発して同乗してた女の子が数カ月後に亡くなった事件を、爆発時の映像だけで命は助かったみたいに紹介してて、呆れた。
「最悪に至る」が何故かいつのまにか「最悪の場合死に至る」と言われるようになっちゃって。
「最悪の場合」=「死」なんで、重複に近い表現だと思う。
「最悪の場合怪我する」なんてあまり聞かない。最悪じゃないもの。
で、単語でしか会話できない年齢層が「最悪の場合死に至る」をもっと縮めて「最悪死ぬ」と言う。
ニュアンスは解る。「下手したら死ぬ」。
でも「最悪死ぬ」の「最悪」は、ルーツ的に結果のほうにかかってて、「下手したら」はどちらかというと原因、行為のほうにかかってる、ような気がする。
だから「最悪」つけなくても「死ぬ」だけでいい。
でも今の子には表現が弱いのかね。
サイコーとかヤバいとか言わないと落ち着かないような。
「ヤバいマジ死んだ」みたいな。
というよりなんだろう。「死ぬかも」という可能性も表現しながら「死」そのものをより最悪な概念であると強調してる気もする。
尊厳のある死ではなく、避けるべき死の事態だとも。
「最悪の場合、ヤバい死に方する」か。
僕の認識が正しいとするなら、「死ぬ」を忌避して生まれた「最悪に至る」という表現が紆余曲折して元々より厳しい「最悪死ぬ」という言葉になったことになる。字面だけみると。